角鹿の塩の歴史

敦賀地方では古墳時代中期より土器を使った製塩業が行われてきた。

若狭湾沿岸の製塩遺跡は実に約七十か所にものぼり、土器製塩の先進地区の一つに数えられる。

飛鳥・奈良時代になると、敦賀地方で作られた塩のほとんどが律令政府への貢納品として「藤原京」「平城京」に納められていた。

 

こと敦賀地方の塩は『角鹿の塩』と呼ばれ、
【日本書紀『紀』武烈天皇即位前紀】によると、角鹿の塩だけが呪われていない特別な塩なので天皇の御食(みけ)になっていると記されている。

 

江戸時代になると瀬戸内海での製塩業が盛んになり、敦賀地方の製塩業は勢いをなくし、次第に衰退の一途を辿る。

 

天然塩は塩化ナトリウムの純度が約80%、残りはマグネシウムやカリウム、カルシウムなどのミネラル成分で構成されています。ミネラルバランスが既に整っているため、身体への負担が低いとされています。

敦賀地方では
飛鳥・奈良時代以前より製塩業が行われていました。
古くから伝わる技法で塩を精製しているため
不純物がほぼほぼ無い天然塩を作ることができるのです。

角鹿の塩の成分
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食塩相当量

ナトリウム

カリウム

マグネシウム

カルシウム